霜月たかなか『コミックマーケット創世記』(朝日新書)感想【再掲】

この文章は以前別のブログで書いたものです。昨日コミケについての記事を書いていたら思い出し、そこそこよく書けているような気がしたので、こちらに再掲します。なお、『コミックマーケット創世記』はアマゾンで見る限りもう在庫がないようですが、kindleで出ているようなので、もし興味があればkindle版をどうぞ。

 

 

霜月たかなか氏による『コミックマーケット創世記』(朝日新書、2008)を読んだ。2008年に出た本なので、本棚で4年程寝かせていたことになる。

基本的に、著者の霜月氏が、どのようなファン活動を通じて、1975年の第1回コミックマーケット(以下コミケ)が開催されるまでに至ったのかを、氏が関わった関係者・団体の話も交えつつ書かれている。

本書で多くを占めるコミケ「前史」の部分(「ぐら・こん」や「日本漫画大会」などの組織・ファン活動)については、正直なところ、僕にはあまり頭の中で整理できなかったのが実際だ。それらの名を聞いたのも本書が初めてであった。しかし、著者の関わったそれらの活動の挫折が、コミケの開催とその理念に大きく影響したことは間違いないのであろう。

僕が感じた重要な部分をあげると、コミケ以前のファンイベントでは、同人誌の即売は、メインイベントではなく、漫画作家の講演などのプログラムが中心となっていたことや、当時は同人誌を作るという作業自体がとてつもなく大変だったということ(今のオフセット中心の同人誌からは想像できない)など、当時同人活動を行うことは、空間的・技術的に、非常にハードルが高かったことが感じられた。

面白かったのは、コミケのイベント内容において同人誌即売を中心に添えた思想だ。

 マーケットという言葉で「同人誌に対して金銭的やり取りを正面切って肯定」し、「同人誌を裸の商品として、その評価を市場=読者に委ねるよう機能」させた。それにより同人誌は、「否応なく外と、読者の視線と向かい合わざるを得なくなるのだ。…そして市場であればこそ、参入しようと思う者にとっての障壁は低い。売るものさえあれば、障壁は消失するのだから。
(132ページより引用、ただしこの文は、関係者のひとりである亜庭じゅん氏の言葉)

市場というとどうしても悪いイメージが想起されるが、それは本を作ることさえできれば、だれもが参加できる開かれた空間を作ったのだ。

こうしてコミケは、その規模を拡大していくことになるが、霜月氏コミケに期待した、コミケという場から新たな・未知の創作が生まれていく可能性を氏自身が見いだせなくなったことにより、氏はコミケの代表を辞することになる。

コミケは、それまでのまんが界のプロ作家か読者という、2者択一の状況に第3のコミットの方法を開いたものであった。当初参加者700人で始まったこのイベントは、現在参加者50万人超という驚くべき規模へ拡大した。それはマンガ・オタク文化にとって非常に大きな影響を与えてきたと言える。
現在マンガ・オタク文化は、日本の誇るべき文化とされ、誰もが手軽にマンガ・アニメ等を楽しめるようになった。同人誌においても、それはもはやオタク文化の重要な位置を占めている。しかし、本書を読むとそれは複雑なことにも思えてくる。もはや、自分の生きる上での重要な要素としてマンガやアニメにコミットすることは少なくなってしまったのかもしれない。それがいいことなのか悪いことなのかはここでは置いておくこととして…。

現在、マンガ・アニメが奨励される一方で、作品の乱立・表現規制著作権等の問題にこの文化は直面している。どのような思想のもとで、「自由な場」としてのコミックマーケットが形作られていったのか。コミケがこれからも続いていくならば、特に僕たち若い世代が、これらのことを考え、コミケひいてはアニメやマンガ文化の未来を考える必要があるのではないだろうか。
そのためにも、特に若い世代に広く読まれるべき書であると感じた。

 

コミックマーケット創世記

コミックマーケット創世記